神様は真実なるお方です。私たちの祈りに具体的に答えてくださいます。

祈りに答えてくださるとともに、祈っている中で私たちに必要な整えをなして下さいます。生きて働かれる神様をリアルに体験することで私たちの信仰は引き上げられ、神様に対する確信に満ちていきます。そして次に問題にぶつかっても、大丈夫神様がなんとかしてくださる、という対応に変えられていきます。

そのことに大きな意味があると感じています。

主人との出会い

1979年というのは私の人生において大きなターニングポイントの年でした。それまでの仕事を辞めて、アメリカで仕事をすることになったからです。もっと重要なことは、住むことになったカリフォルニア州のパサデナにあるウィリアムケアリーというクリスチャンの大学の寮で、真の神様に出会い、イエス様を自分の救い主として受け入れ救いが与えられたことです。キャンパスにはチャペルがあり、礼拝に出席してはいましたが、クリスチャンのバックグラウンドが全くない私にはあまり楽しいものではありませんでした。

そのような時に主人と出会いました。彼はある日本の会社から企業留学してアメリカの大学院で学ぶために来ていたのでした。2年後彼の卒業と同時に帰国して、私たちは結婚しました。

しかし私はまだ教会につながってはいませんでしたから、聖書に書かれている神のみ心を行なう、ということなど全くわかっていませんでした。 

義母の救いまでに

結婚してしばらく経った頃、あることで義母に一言言われてしまい、それが原因で義母に心を開くことができなくなってしまいました。当時は主人の実家の近くに住んでいましたので、休みの日は実家で一緒に食事をするようにしていました。しかしそのことがあってからは以前のようには行けなくなってしまいました。

しかし私はすでにクリスチャンで、隣人を愛せよ、ということを知っていましたので、そうできない自分を責めてしまったり、落ち込んだりしていました。夫に言えば、義母を悪く言っているようになるので、夫にも相談できずに辛い気持ちのままに過ごしていました。

その頃今所属している教会に導かれました。当時はまだ教会がスタートしたばかりで、ほんの数人で礼拝が行われていました。しかし私にとっては人数など全く問題ではありませんでした。毎週語られるメッセージが心にしみわたっていきました。神様を礼拝すること、教会に行くことがとても楽しみになりました。そして私はこの神様に仕えていきたいと漠然と思うようになりました。

またその頃マーリンキャローザスさんの書かれた「賛美の力」を通して、感謝するということの素晴らしさを知りました。良いこともそうでないことも、すべてを感謝するというメッセージはとても新鮮で、神様に対する希望が与えられ、私もすべてのことを感謝することを始めました。

私にとって義母のことは感謝できないことの一つでしたが、感謝の実践をし始めました。すぐには状況は何も変わらなかったのですが、毎日毎日の祈りの中で特に感謝の祈りをしていきました。感謝しては落ち込み、悔い改めてまた感謝、という日々が続きました。

それから数ヶ月経ったお正月の時期にいつものように実家で家族揃って食事をしました。しかし何かが違うのです。食事の準備をしていても私は義母とわだかまりなく話しをしている自分に気がつきました。そのお正月の期間を私は楽しく過ごすことができ、この家族に入れて下さったことを心から喜ぶことができるようになりました。神様が私を変えて下さったのです。

それだけではなく、義母に救われてほしいと心から願うようになって、教会に誘っていたのです。義母は他の宗教に入っていたのですが、それをきっぱり止めて私と一緒に教会に通い始めました。

しかし義母はその頃すでに、ずっと以前に手術を受けた脳腫瘍の悪化の前兆が少しずつ始まっていました。そういうこともあって、私は本当に早くイエス様を信じてほしいと願い祈っていました。

預言とその成就

その頃教会の秋元牧師の結婚式があり、誰でも参加して下さいということでした。私はクリスチャンの結婚式をぜひ主人と義母に体験してほしいと思いました。義母は来てくれることになりましたが、主人は全く気が進まない様子でした。神様は知恵を与えて下さり、写真を撮ることが好きな主人に写真を撮ってほしいと言うと、それならばということで来てくれることになりました。

そのことを牧師に伝えると、「結婚式に出たノンクリスチャンは救われる、と預言で語られています」と教えていただき、神様に期待して参加しました。

それからしばらく経って義母の脳腫瘍が再発し入院しました。数日後教会のもう一人の牧師さんが病院に祈りに来て下さり、義母はその時神様を受け入れる決心をしてその牧師さんに導いていただいて、神様を迎え入れる救いの祈りをしたのです!主をほめたたえます! 結婚式の預言で語られた通りに神様は義母を救ってくださったのです。 義母はとても喜んでいました。私は本当に神様に感謝しました。

義母はそのあと意識がだんだんと薄れていき、しばらくたって、天に召されていきました。私は神様のタイミングを心からほめたたえました。

主人への約束のみ言葉

義母が救われたことを、なぜかノンクリスチャンの主人はとても喜んでいました。しかし自分が神様を信じる、ということには全く反対でした。私が神様の話を始めると、いつもは穏やかな主人が、そんな話しは聞きたくない、と言って途端に機嫌が悪くなっていました。主人は、自分は信仰を持たなければならないほど弱くはない、と考えているようでした。そのような主人を見ていて、私と主人の立っている土台が根本的に違うので、救われて同じ土台に立たなければ、本当には気持ちが通じない、と思いました。それで何が何でも主人が救われてほしいと心から願うようになり、本気で祈り始めました。

私の祈祷課題の第一番目はいつも主人の救いで、しつこいと思われてもやはりそれが私の心からの願いでした。

主人の救いを祈っていく中で、神様は二つのみ言葉を与えて下さいました。「主イエスを信じなさい。そうすればあなたもあなたの家族も救われます。」(使徒16:31)「わたしは、この民と異邦人との中からあなたを救い出し、彼らのところに遣わす。それはかれらの目を開いて、暗やみから光に、サタンの支配から神に立ち返らせ、わたしを信じる信仰によって、彼らに罪の赦しを得させ、聖なるものとされた人々の中にあって御国を受け継がせるためである。」(使徒26:17、18)

これらのみ言葉を通して、神様は必ず主人を救ってくださる、という信仰が与えられました。

またその頃、韓国の祈祷院に断食祈祷に行くことが導かれ、そこでも神様ははっきりと約束を与えて下さいました。祈りの中で主人の救いについてはっきりと確信を与えて下さいました。そして主人は救われてから牧会の働きに立てられるということと、私の方が先にいろいろな海外宣教の働きに携わった後、主人と一緒に海外宣教に出始め、それから本格的な召しの道に入っていく、ということなどが示されました。 

ところが神の約束が与えられても、主人の状況は何も変わりませんでした。しかし確信が与えられましたので約束を徹底感謝し、さらに祈っていきました。

ロチェスターへ転勤

そのような時に主人が働いていたイーストマン・コダックの本社がある、ニューヨーク州のロチェスターに転勤になりました。教会はロバート・ユーインさんが紹介して下さった、イーラムゴスペルチャーチに導かれ、そこはイーラムフェローシップという海外宣教団体と神学校もあるところでした。ちょうど新学期が始まる時だったので、聴講する道も開かれ、新しい環境で教会と神学校生活が始まりました。

主人の仕事は順調にすすんでいるようでした。また主人の仕事関係の友達や知り合いにも多くのクリスチャンの方々与えられました。

あるとき、その方々に誘われて主人とビリーグラハムクルセードに参加する機会がありました。そこでコダックの研究所でもトップのクリスチャンのドクターの方にばったりお会いしました。驚いたことにその方は会場のゴミ拾いの奉仕をされていたのです。私たちを見つけると、とても喜んで下さいました。

主人は、あんなに偉い人がどうして喜んでゴミ拾いなどしているのだろうかと、信じられないような様子でした。しかし何かが心に響いたようでした。

再び預言を通しての約束

私は教会と神学校での学びがとても楽しみでした。ある礼拝の時に牧師さんが、主人に対して”He will be saved and he will be a pillar of Japanese church.”という預言が与えられた、と語ってくださいました。前半の「救われる」という部分はすでに与えられている約束の再度の確認となり、救いの確信が強くされ神様に感謝しました。後半の「日本の教会の柱となる」という部分は予告預言なので感謝しつつ頭の中に置きました。しかし救われる前からいろいろな方法で神様からたくさんの約束をいただけたことは、大きな励ましになりました。

π」の存在理由

しかし主人は相変わらず教会に送ってはくれるものの、中には入らず礼拝が終わるまでドライブしたり写真を撮ったりして、礼拝が終わる頃に迎えに来ていました。そのような主人でしたが教会の方々はとても親切に接してくださって、何かある毎に食事やパーティーによく誘って下さり、そのような集まりには主人は喜んで出掛けていました。

あるときのピクニックで、同じ研究所のクリスチャンの方に、「π」という数がどうして存在すると思うか、と聞かれたそうです。主人は「π」という数を使って長年仕事をしてきたけれども、またそれを計算で出すことはできても、なぜ存在するのかなどとは考えたこともなかったので彼に答えられなかったと言っていました。しかし彼のこの質問は主人の人生を大きく変えるきっかけとなったのです。この頃から、人間がすべてのものを築き上げてきたというのは間違っているのではないかと思い始め、神の存在が気になり始めたようでした。

(救われたあとこの時のことを聞いてみたら、この時からバネに蓄えられるエネルギーもコンデンサーやコイルに蓄えられるエネルギーも、運動エネルギーと同じ式で表わされることや、静電気力や磁極間に働く力や万有引力の法則も、同じ式で表わされることに不思議を感じ、天地創造の神がいるのかと思い始めていたのだそうです。)

導かれた賛美集会

そのような時教会で平日の夜に賛美集会がありました。主人は音楽を楽しむということで来てくれましたが、若い頃からギターを弾いていたので、今風な賛美をとても気に入っている様子でした。その日は最後に、霊の戦いの賛美をしながら皆で教会堂の中をぐるぐる廻って霊の戦いをしました。その中に主人も置いてくださっていたのはとても偶然とは思えませんでした。

主人は何とその週の礼拝から教会に行くことを決心したのです!

さて、礼拝に初めて出席するという前夜、夜中に何かおかしな気配がするので起きてみると主人が、息苦しいと言ってハーハーと苦しんでいました。私はすぐに癒しの祈りをすると共に霊の戦いの祈りをし、イエス・キリストの御名によって霊の縛りをしました。すると主人は朝までぐっすり休むことができました。しかしさあ出発というときになって、今度は激しい頭痛に襲われて、今日は行けないということになりかけましたが、また霊の戦いをして遅れながらも、礼拝に出席することができました。牧師さんや教会の方々は本当に喜んでくださいました。私は心から神様に感謝していました。

礼拝前のアタックは頭痛、腹痛、下痢、吐き気などがしばらくは毎週続きましたが、いつも前もって霊の縛りをすることで守られ、行き続けることができました。

神様の時に

さて、ロチェスターでの勤務も終わりに近づき、帰国も間近になった頃、礼拝の後に副牧師の方と交わっているとき、主人にイエス様をお迎えしてはどうですか、と勧めてくださいました。その牧師さんは教会の祈りの牧師でずっと執り成してくださり、私たちにとても好意的にして下さっていた方ですが、一度も主人にそのようなことを言われたことはありませんでした。主人はなぜか喜んでお話に耳を傾けていました。そして最後に副牧師のあとについてゆっくり、しかしはっきりと神様を受け入れる祈りをしていたのです! 主人が真剣な面持ちで神様を受け入れ、祈っていたのを今でもはっきりと覚えています。主をあがめます! 神様は神様の時に神様の方法で主人を救ってくださったのです。

気が付くと教会の方々が廻りにたくさん集まってくださっていて、みんな自分のことのように泣いて喜んで下さり、涙で顔をぐちゃぐちゃにしながら、ハグ攻めで祝福して下さいました。ある方はうれしくて天井まで飛び上がりそうだ、と言って喜んで下さっていました。

あんなにかたくなだった主人を、憐れみによって救って下さった神様を心からほめたたえます。主人の救いを通して「神にとって不可能なことはひとつもありません」というみ言葉が、私の中で揺るがない確信となりました。

すべての栄光を愛する主イエス・キリストにお返しします。

                                         Ruth

(月刊「雲の間にある虹」2007年5月号より転載)

主の十字架クリスチャンセンター町田教会

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私の家族に現わしてくださった、神の栄光

「神にとって不可能なことはひとつもありません」(ルカ1;37)