その1

■ルツ弓野
  

いまこの証をニューヨークで書いていますが、私も私の家族も救われたアメリカの地で家族の救いについて証しさせていただけることに神さまの深い摂理を感じています。

私は1979年の夏、アメリカ建国記念日にカリフォルニアのパサデナでイエス・キリストを自分の救い主と信じ受け入れました。しかし教会につながっていませんでしたから聖書もほとんど読まずクリスチャンとしての生き方などよくわからずに、しかしこの世的には楽しく生活していました。そんな中で主人と出会い1982年に帰国して結婚しました。

その後教会に通い始め、いまの教会に導かれ、生きて働かれる神さまを体験し始めました。みことばはどんどん私のうちに入っていきましたし、いつももっと神さまを知りたいという思いでいっぱいでした。そしてこのすばらしい神さまのことを主人にも知ってもらいたいと思って、神さまのことを話したりしていました。しかし普段は「いつもニコニコ良い天気」の主人が、もうそんな話は聞きたくないとムッとしていました。そのうちにイエスさまのイエでも言い出そうものなら突然顔つきが変わってまるで別人のようでした。そんな主人を見ていて本当に早く神さまを知ってほしいと救いを心から願うようになりました。

救いの祈りをしていく中で神さまは「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます」(使徒16章31節)という御言葉と「わたしは、この民と異邦人との中からあなたを救い出し、彼らのところに遣わす。それは彼らの目を開いて、暗やみから光に、サタンの支配から神に立ち返らせ、わたしを信じる信仰によって、彼らに罪の赦しを得させ、聖なるものとされた人々の中にあって御国を受け継がせるためである」(使徒26章17―18)のふたつの約束の御言葉を与えてくださいました。しかしながら約束はあっても現状は何も変わらないという状況が続いていました。

そのようなときに韓国のチョー・ヨンギ牧師の教会のオサンリ祈祷院に断食祈祷に行くことが導かれました。主人の救いと自分の召しに関して特に祈りが導かれました。祈りの山は個人個人で祈ることができる部屋というか穴のようなものがたくさんあって、地元韓国のクリスチャンの方々も「チュヨー!」と熱心に主に叫び求めておられる様子でした。着いてすぐは私も祈るゾ!と張り切っていたのですが断食がまったく弱い私は最初の三日間くらいは頭痛と吐き気でほとんど祈れなくてただただふしているだけでした。

こんなはずではなかったのにと思いながら四日目位からだんだん気分が良くなってきてやっと祈りこみができるような体調に整えられていきました。そういうふうに始まった断食祈祷だったのですが、その祈りこみの中で神さまははっきりと答えを与えてくださいました。その頃はまだ聞き従いが浅い段階にあったにもかかわらず私にもわかるように神さまは語ってくださいました。主人の救いについては祈りの中ではっきりと確信が与えられました。それだけでなく、主人は救われてから牧会の働きに立てられること。そして最初私の方がたくさん海外宣教の働きに出て行くけれども主人と一緒に海外宣教に出てから本格的な召しの道に入っていく……ということなどが示されました。

私はつい最近引っ越しをしたのですが、荷物を片づけているとき、そのときのノートが出てきました。何年ぶりかで読みかえしながら、自分の召しのことも含め、そのときに示されたことがそのとおりに次々と成就してきていることを見て神さまをほめたたえました。

さて帰国後主人の救いの祈りについて祈りを変えていくように導かれました。すでに御言葉の約束も与えられていましたし、祈りの中でも確かな確信が与えられていました。また預言を通しても語られていましたので、求めの祈りとともに神さまが与えてくださった約束を徹底感謝していきました。そんなある日のことそうじをしていると主人の本棚の中にとても信じられないものを見つけました。それも2冊もです。

それはなんと聖書だったのです!1冊は口語訳の新旧約聖書、そしてもう1冊は「The Little Bible」というハードカバーの子ども向けの古びた英語の聖書だったのです。それらの聖書には自筆で自分の名前が書いてありました。

キリスト教にはまったく興味も示さず、クリスチャンは弱い人の集まり、信じられるのは自分の力だけなどと言っている主人がどうしてこんなものを持っているのかしら……と私は考え込んでしまいました。

(つづく)

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