求めなさい。そうすれば与えられます。
     捜しなさい。そうすれば見つかります。
       たたきなさい。そうすれば開かれます。

その2

■ルツ弓野 
 

   

<謎の聖書とセッセッセーの祈り>

これらの2冊の聖書を見つけたときは本当にびっくりしてしまいました。キリスト教にはまったく興味がないというより、毛嫌いしているように見える主人が2冊も聖書を持っていたなんてどういうことでしょう。

さっそく真相を確かめてみることにしました。口語訳の新旧約聖書の方は80年にアメリカの大学に企業留学したときに買って持っていったものでした。アメリカはクリスチャン国と聞いていたので聖書を読んでいれば少しはアメリカ人のものの考え方が理解できるかもしれないと考えて買ったものでした。

しかし創世記1章を1ページ読んだだけで、あまりにも非科学的というよりアホらしくて(本人の弁)それ以上まったく読まなかったのだそうです。そういえば残念ながら聖書はきれいで、手あかなど全然ついていませんでした。

またもう一方の「The little Bible」は子どものとき、小学校高学年から中学1、2年頃まで父親の転勤で過ごしたホンコンで通っていたイギリスの学校で買わされたものだということがわかりました。当時毎週宗教の時間というものがあって全員必ずプロテスタントかカトリックのクラスに分かれて学んだのだそうです。

主人はどちらでもないのに無理やり(主人いわく)プロテスタントのほうに入らされて、さっぱりわからない勉強をさせられたのだそうでした。日本から行ったばかりで、まず英語がわからないこと、そしてキリスト教のバックグラウンドなど何もないので本当にチンプンカンプンでいつも外ばかり見ていたそうです。

しかし賛美歌などはたくさん歌ったらしく大人になっても覚えていました。毎朝の朝礼では必ず主の祈りを祈ったそうですが "Our Father which art in Heaven" くらいまでは覚えても、それ以上は何を言っているかわからないので「セッセッセー、セッセッセー……」と口走っていたのだそうです(余談ですが、このセッセッセー……は主の祈りの特に後半のフレーズというかイントネーションにうまくマッチしていて妙に感激してしまいました)。本人はみんなでお経を唱えていると本気で思っていたようでした。

そういうクラスで試験があったそうですが、ひとつだけわかった答えが "Born again" で、それで3点もらって(100点満点中)無事に(?)クラス終了となったようでした。

私はこれらのことを聞いた時、本当に神さまに感謝しました。本人にとっては無理やりにではあったにしても、プロテスタントのクラスにいたことはすでに神さまの守りと計画があったと確信し、神さまをほめたたえました。そしてきっと宗教の先生が心痛めてとりなして祈って下さったのではないかと思いました。「主よ、この何もわからない日本人の生徒をあわれんで下さい! 主の時に必ず救いを与えて下さい!」と。

私は主人が、たとえそのとき神さまのことが頭ではわからなかったとしても必ず内側に入ったものがあるはず、絶対に救われると、益々救いの確信が強くなってきました。

しかし現実は相変わらずで、キリスト教やイエスさまの話になると突然表情が変わって、「自分の考えや良しとすることを人に押し付けてはいけない、自分だけのものにしておきなさい」等と一見もっともらしい大人の意見を言って、こちらの言うことにはまったく耳を貸そうとはしませんでした。

<召しを行なう>

そういう状況ではあったのですが、その頃所属している教会で海外宣教の働きが開かれてきていて、私もいろいろな短期宣教に導かれ始めました。

しかしこのことには本当に信仰が試されました。ノンクリスチャンのそれもまったくキリスト教に理解のない夫を残して、1〜2週間家を空けるわけですから。

しかし韓国での祈り込みのときに『私の方が先にたくさんの国々に遣わされる』と語られていましたので、その約束を握って祈りました。

そうすると神さまは必ず道を開いて下さいました。ある時は3週間のパトモス派遣というのがあったのですが、「絶対にダメだ」と言われたので祈りに祈りました。するとまず御言葉が与えられてあんなにかたくなだった夫が許可を出してくれたのです。

しかし私が海外宣教に出ることは基本的にはまったく反対でした。それを知りながらの宣教でしたので、このままこういうことを続けたら主人はますます神さまに背を向けるのではないかと悩みました。しかしそのような時に、いつも励まされたのは与えられていた神さまからの救いの約束と確信です。

<アメリカへ>

そのようなときに、主人に転勤の命令がありました。働いていたコダック社の本社があるニューヨーク州のロチェスターというところです。主人は喜んで受け入れたのですが、私はせっかく始めた神学校の学びを中断することがとても残念だったのですが、主人に従ってアメリカに行きました。

しかしこの転勤が主人の人生が大きく変わるきっかけとなるなどとはまったく予想もしていませんでした。これはまさに神さまが備えて下さっていたものだったのです。

(つづく)

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